16歳の頃、友人が応募したのをキッカケにNHKの番組に出演。NHK「YOU」は、糸井重里、日比野克彦らが司会を務め、オープニング楽曲は坂本龍一、大友克洋のイラストが使用され、忌野清志郎が頻繁にゲスト出演するなど、1980年代のサブカルチャーを代表する面々が数多く出演し、その様子は「事件」とも揶揄されるような、当時の充実した文化を存分に感じさせる番組であった。
その中で、井上ミウ(当時は、飯田幸代として活動)は、日本最年少パントマイマーとして「いきいき少女図鑑」コーナーに度々出演。周りの文化的な大人に可愛がられ、アート特集の会では、企画段階から参加。
また、ラフォーレ原宿での、パントマイム ソロ公演の様子は、「いきいき少女図鑑の少女達のその後」として番組で再度取り上げられ、特集される。
NHK「青年の主張」のCM出演では、イラストレーター 沢田としきの作品の周りでのパフォーマンスの様子を、そのままCM映像として使用される。
辻仁成の「燃えてトライアル」出演時には、辻より「映画『ブリキの太鼓』のオスカルのような飯田さんでした!」と辻らしいウィットに富んだ評価をもらう。
高校生時代の師は吉田明美氏。
その後20代では、金剛地武志(ミュージシャン・俳優)や高橋晃(現・株式会社klokaディレクター)らと共に公演を作り上げる。
数々のテレビ出演や自身の試演会のパフォーマンスなどに明け暮れた結果、過労で倒れる。
「このまま、ダメになってしまうのなら、その前に国境を見てからにしよう」と、ひとり北京からシベリア鉄道に乗り、ソ連を越えてヨーロッパへ向う。ドイツにて、ルドルフ・シュタイナーの人智学と出会う。そしてオイリュトミーを習うため約2年半ドイツに暮らし、薬草、代替療法、アロマセラピーと出会う。
24歳の時にはドイツにて、芸術表現プロデュース「ハニー・ビーズ・アーツ」主宰の宇佐美陽一と公演を行う。
25歳 枇杷系・山田せつ子氏に師事。パントマイムとダンスとの過渡期を経て、即興のダンスの可能性を模索する。
“パントマイムが「作劇」であるならば、そういったストーリーで語るよりもっと瞬間で語るもの、ストーリーの枠に収まらない感情や身体言語が「ダンス」” との思いを強くする。
26歳で結婚ののち、29歳で出産。
第一子は、ヒルシュスプルング症と診断され、腸が育たず、人工肛門など沢山の医療ケアが必要な状態で生まれ、
4年間をほとんど病院にて過ごす。
その度重なる面会の帰り道、生と死について考え、自分がどんな感情をとったら良いのか分からなくなり、
途方に暮れて歩いていた
その時に、口から鼻歌がついて出る。
その鼻歌につられて、体が動き出し、祈るような気持ちでその場に身を委ねた。
“思考に寄るのではない そこから外れたところで感じているものをフォルムにする”
“イメージや、意味ではなく、いま、ここにあることを踊る。それをその時に手にしたんです”
井上ミウは、ここから20年間の時間のほとんどを、第一子の医療ケアと、送迎とに費やす。
医療的ケア児と過ごす孤独な子育てに押しつぶされそうになりながらも
母親だから出来ることを求めて本格的にアロマセラピーを学び、AEAJ日本アロマ環境協会のアロマセラピスト資格を取得。
アロマセラピーのオイルケアをするうちに、
第二子、第三子を授かり、35歳からはいわゆる「普通の子育て」も体験する。
障害児と三歳児と新生児が一緒に畳にゴロゴロしている姿をみて
「もうしっちゃかめっちゃかだけど生きてればなんとかなるか」という境地に至る。
(追記:第一子、友洋君は2019年11月に22歳でこの世から旅立ちました)
現在は、ダンスの活動を本格的に再開しつつ、
アロマオイルや植物を利用したケアクリームや
フレングランスの作成を手がける。
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